処世術

他人のことを羨ましくて嫉妬したら、「おれ、そんなん何も興味ないもんね〜」と、その対象についての欲望を無理矢理やせ我慢して放棄する、ということを脳内でやって、膨らんだ嫉妬心を落ち着かせている。

思えば小学生のときにガン消し、カードダス、ビックリマンシール集めているときからそうだった。自分では到達できないレベルの収集量やレア保持量の他人を見ると、もういいよそんなん、なんでこんなもんにむきにならなあかんねん、あほくさ、と、さんざん熱中したくせに最後はそうやって投げ出す、という。

高校生の時の勉強も同じ感じで、自分より勉強できる人がいっぱいいて、ちょっとの努力では追いつけない、ということが分かると、勉強なんてそんなんどうでもええやん、ってなった。

負けるのがくやしくて、負けず嫌い過ぎて、その勝負から降りる、ということで負けを回避する、という処世術。その後の趣味とか仕事とか人付き合いも同じ感じやなあ。

これで得たのは、確かに大きな敗北感は味わっていないが、逆に大きな達成感も味わっていない、という中途半端感、かなあ。

サクセスストーリー的なもの

昔は弱者だったが努力や幸運により強者になった。

というストーリーにたくさん出会う気がする。

誰もがそういった体験をしたい、と願うから、なのだろう。

そのほうがドラマチックで盛り上がる、というのもあるかもしれない。

個人的にはアンチサクセスストーリーが好みだ。

天の邪鬼だから、なのかもしれない。

奴隷根性

職場で取引先のお偉いさんと話をした。

やはり人間は平等では無い、というか、人の上に立ってリードする人と、その人の下であくせく働く人と、分かれるんやと思う。それは何によって分かれるのかなあ。才能、努力、教育、家柄、環境。。。?役割を演技する自覚?それともただのエゴ・欲の有無?

経済最優先の世の中が嫌だなあと思っていて、一流企業の上の方にいる人達のことも嫌いだなあと思っていたけど、実際にそういう人に会って話をすると、包容力とか佇まいとか話し方とかが何か違っていて、その人に「こうだ」と言ってもらえると、すごく安心する、というように思った。

組織に、地域に何人かこういう人がいて、こういう人が人をまとめて苦難というか問題に対処してきたんだろうなあ。

GW

何も予定が無いので朝から部屋でネットしている。

外はすごくいい天気で風が気持ちよさそう。

外に出たほうが気分がいいんだろうけど、他人に遭遇するのがすごく億劫に感じられて部屋の外に出たくない。

昼から缶ビールロング缶を飲んだ。つまみはピーナッツ。

ツイッターを見たりネットニュースを見てると、自民党や維新の会に対する怒りでハラワタがニエクリカエリそうになるが、この怒りをどうすればいいんだろうか。分からず特に何もせず。

宮本常一の「忘れられた日本人」を読みながら、「【作業用BGM】廃墟に似合うエレクトロニカ」を聞いている。

何も、したいことが無い。本は読みたいが、集中力が続かない。ツイッターとフェイスブックをリロードして定期的に見てしまう。

曖昧なもの、生産性の低いもの、後ろ向きなもの、意味のない、役に立たないもの、誰かがそんなものはゴミだと言い張るもの、そういったものを思いっきり肯定したい、なあと思う。

が、だからどうするわけでもない。