嫉妬

自分はすごく嫉妬する。嫉妬が自分の行動に大きく影響している。

何か輝かしいものを見ると、それに比較して劣っている自分が悔しくて嫉妬が発生し、その輝かしいものを否定する思想を全面展開してしまう。そんなもんくだらないよ、たいしたことないよ、意味無いよ、と。

自分の嫉妬も激しいけど、世の中も嫉妬で溢れかえっていると思う。ルックスが良い、体型が良い、能力がある、才能がある、成功している人がめちゃくちゃもてはやされ、そうでないのは良くないことだ、努力が足りない、とされるのだから、そりゃあみんな嫉妬してしまう。

その嫉妬が、負けて悔しいから/素晴らしい人に憧れて、自分も頑張ろう!というエネルギーとなるか、前述の自分のように否定に邁進し自分を庇うエネルギーとなるか、その境目・バランス・世の中の空気がものすごく微妙でヒリヒリしていて、簡単に同じ人がどっち側へでも転ぶことができると思う。

その転んだ結果を簡単にWeb上に発信できてしまうから、その中で多くの人と共感したり反発しあったりがぐるんぐるん起きている。ものすごくヒリヒリしているように思う。

例えば、仕事、会社をけちょんけちょんに否定しようと思えばできるし、前向きにとらえようと思えばそれもできる。そのどちらをも後押しをする言説・本がたくさんある。どちらの気持ちも自分の中にある。どちら側も全面にでてきたことがある。だけど、どちらか一方の立場を選べ、さもなければその思いは欺瞞だ、というプレッシャーがある。周りの状況にもよる。周りが否定 が多ければ、自分は肯定に移るし、肯定が多ければ、否定に移る。これは嫉妬ゆえのあまのじゃくな態度だと思うけど、実際にそうで、どちらでもありえる。どちらにも簡単に転べる。

世の中で嫉妬のエネルギーによる肯定と否定の波が起き、それに合わせて自分も肯定したり否定したりして波乗りしている、ようなイメージ。

自分は何やってんだろう、と思う。どちらでもありえるからこそ、自分はまったく何にも注力していない。でも二元論で完全に分離するより、両方の要素を持つ方がエネルギーが生まれる場合もある、という考え方もある。

自分や世の中の完全肯定または完全否定が答えではない。嫉妬を覚えないように悟ることができるかと言えばそれはすごく難しそうだ。自分は狂うことができるのか。何を手掛かりにすれば良いのか。判断基準をどこにおけばよいのか。

今朝方見た明けの明星がとても綺麗だった。本当に、びっくりするくらい。生まれて初めて明けの明星というものを認識した。今まで気付かなかったなんて、すごいな。。